イタリアン・グレーハウンドは、何世紀にも渡って存在していましたが、いつ、どこでこの小型化されたグレーハウンドに発展していったのかは明白にわかっていません。
イタリアン・グレーハウンドに近い犬たちが存在していたとされる証拠の品は、トルコ、ギリシャ、そして地中海周辺などで発見されており、なかには2000年以上前に遡るものもあります。この小型化されたグレーハウンドは、中世頃には南ヨーロッパ中で飼われるようになりましたが、特にイタリアの王室に大切にされていました。
この犬種がイギリスに渡ったのは17世紀のことで、イタリアと同じように王室や貴族の間で人気が高まりました。この犬種は、犬についての当時の本に書かれた、2種類しかないトイ・グループのうちの一犬種としても知られ、ヴィクトリア女王の時代には最高の人気を誇っていました。
その後、頭数はだんだんと少なくなり、第二次世界大戦後にはイギリスから消えてしまったのではないかといわれるほど減少してしまいます。理由のひとつとしては、サイズを小さくするためだけを目的とした交配が繰り返され、犬の健康への配慮を度外視していたことが考えられます。
幸いにもこの犬種は、1800年代にアメリカに持ち込まれており、その数は少数だったものの血統は良質なものでした。この犬たちが後に輸入された犬たちと交配され、ヨーロッパでの復活に一役買うこととなります。その後、この犬種の人気は徐々に上昇し、再び高い人気を誇るようになりました。

(以下、参考文献:デズモンド・モリスの犬種事典)

イタリアではピッコロ・レヴリエロ・イタリアーノ(Piccolo Levriero Italiano)として知られる。この小型犬は数千年にわたり伴侶犬として飼われてきた。

古代文明の絵や彫刻やレリーフから、この小型犬が古代エジプト(王によって時々ミイラにされた)だけではなく、ギリシャやローマでも親しまれていたことがわかる。伴侶犬とし作られた最初の犬種のひとつであったようだ。フルサイズのグレイハウンドをもとにこの小型犬を繁殖していくことで、古代の飼い主たちは、狩猟には出ることはなくなったが、高級な室内装飾品として価値ある、ステータスの高い犬を開発した。
この状況が長い間続いた。15世紀には、たとえば、ヤン・ファンアイクやハンス・メムリンクなどの偉大な芸術家の作品にこの犬が描かれている。イギリスでは、チューダー王朝時代とスチュアート王朝時代に非常に上流階級に好まれる犬になった。19世紀初めまでにはさらに人気が高まり、マルチーズとキング・チャールズ・スパニエルとともに上流階級でのトップの座を競い合った。
王室もしばしばこの犬の魅力にとりつかれ、可憐で敏速なイタリアン・グレイハウンドを所有していた君主の中には、チャールズ1世、アン女王、ビクトリア女王がおり、またアフリカのロウベンギューラ王はいうまでもない。ロウベンギューラ王は、1頭のイタリアン・グレイハウンドを手に入れるために牛200頭を差し出したほどこの犬に夢中になった。
悲しいことに、このハイステータスなペットの人気はあまりに過熱し、過度の小型化が進んだため重大な危険を及ぼした。小型になればなるほど、不健全な子犬が現れ始めた。犬種は絶滅の危機へと向かっていたが、1890年代、ビクトリア王朝末期に、真剣なブリーダーたちが集まってその救援にあたり、本来のより強い犬に戻り始めた。
今日、犬種は完全に回復し、か弱そうな外観にかかわらず、再び頑丈な小型犬になった。所有者のひとりは、最近飼っている小さなイタリアン・グレイハウンドが開いている窓から15フィート(約4.5m)も下に飛び降り、一瞬身震いをしただけで、マッチ棒のような脚には何の異常もなく、芝生の向こう側に急いで駆け去ったのを目撃した。

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